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【ご相談内容】
最近の社会情勢を踏まえ、業務における移動手段として自転車を利用することを検討しています。また、自転車通勤を希望する従業員が増加してきたことから、社内ルールを設けようと考えています。
どのような点に注意すればよいのか、法務視点からのアドバイスをお願いします。
【回答】
自転車は非常に気軽に利用でき、また自動車と比較して維持管理コストの削減も期待できることから、業務遂行の手段として自転車を利用する事業者が増加傾向にあるとされています。しかし、自転車の利用は法令上の制限はもちろん、近時報道されている自転車が加害者となった場合、被害状況によっては高額の損害賠償責任を負うこともあります。
したがって、事業者としては、自転車利用に対する適切なリスク管理が必要となっています。
また、新型コロナの影響もあり、自転車通勤はここ数年で一気に増えた印象があります。しかし、従業員の身の安全はもちろんのこと、事故が発生した場合の会社の責任問題もあり、積極的に認めてよいのかは慎重に検討する必要があります。
したがって、自転車通勤については会社の事前許可制としつつ、必要な社内規程を整備し周知徹底を図ることが求められます。
以下では、業務上使用する場合と自転車通勤の場合とに分けて、法務視点での検討を行います。
【解説】
1.業務遂行に際して自転車を利用する場合
(1)事前準備
条例に基づく損害保険加入義務
自動車と異なり、自転車は手軽な移動手段という意識が根強いためか、自転車は購入さえすればすぐに使ってよいと考える事業者はまだまだ多いと思われます。
しかし、報道等でも時々話題となりますが、自転車運転者が加害者となる交通事故が発生した場合、数千万円単位の高額な損害賠償義務が生じることも有ります。このような高額な損害賠償義務が発生した場合、実際のところ一事業者では負担しきれず被害者が救済されないことにもなりかねません。
そこで、近時は自転車を利用する場合、各地域の条例で自転車損害賠償責任保険に加入することを義務付けるようになっています。例えば、執筆者が事業を行う大阪では、大阪府が自転車条例を定め、加入義務を定めているところです。なお、地域によっては条例が未制定の場合もあるようですが、いずれは全国各地で条例による加入義務が定められる予定です。
(参考)
損害保険加入時の注意点
事業者が保有する自動車を対象とする損害保険に加入しているところ、特約で事業者が利用する自転車利用による損害賠償責任までカバーされている場合があります。ただ、カバーされている範囲(自転車の台数に制限はないか、利用する自転車の種類に制限はないか、自転車運転者の範囲に制限はないか、一事故当たりの賠償額に制限はないか、損害賠償の範囲に制限はないか等)については確認しておいた方が無難です。
また、自転車を購入した際に、購入店から勧められた損害保険に加入したから安心と考えるわけにはいかないことにも注意が必要です。なぜなら、加入した損害保険が個人賠償責任保険の場合、業務中の自転車事故は保険対象外となるからです。購入店より損害保険の案内があった場合、自転車を業務利用した場合であってもカバーされるのか確認する必要があります(購入店では事業向け自転車保険を取り扱っていないことも多いようです)。
駐輪場の確保
自転車を業務で利用する場合、駐輪場を確保することも重要となります。
一昔前であれば、近隣に適当に(無断で)停めておくということが多かったと思われますが、今では都市部を中心に放置自転車として行政に撤去されてしまうこともあります。また、自転車の盗難被害にあった場合、窃盗者が当該自転車を用いて更に他の犯罪に利用することで、事業者があらぬ疑いを受ける、あるいは被害者より何らかの責任追及を受けるリスクさえあります。
ところで、近隣に駐輪する場所を確保できない場合、事業所施設内で保管するといった対応をとることもあるようです。しかし、テナントビルに入居している場合、事業所施設内に自転車の持ち込みを禁止していることがありますし、他のテナント入居者に迷惑をかけることがあります(例えば、エレベータ内に自転車を積み込むことで、他の入居者がエレベータに乗れないなど)。また、自転車を事業所施設内に持ち込んだ場合、予想している以上に施設(特に床)に損傷・汚れが生じやすく、テナント退去時に通常損耗ではないとして原状回復トラブルが発生する恐れもあります。事業所施設内で自転車を保管する場合、事前に賃貸人に確認し調整を行ったほうが無難です。
都市部では、駐輪場を確保することが難しいこともあるので、自転車を業務で利用することを検討する場合は優先的に確認したい事項となります。
シェアリングを利用する場合
上記で記載したような駐輪場を確保することが困難であること、常時自転車を利用するわけではなく必要な時だけ自転車利用したいというニーズがあること等を理由に、自転車のシェアリングサービスが急速に普及しています。
シェアリングサービスを利用する場合、事業者との契約条件を確認することは当然のことなのですが、特に確認してほしい事項としては、損害保険加入の有無、加入している場合の補償範囲についてです。何らかの事故が発生し、自転車利用者が加害者となった場合、シェアリングサービス事業者が加入する損害保険を利用できれば、事業者自らの負担を軽減できることはもちろん、被害者との示談交渉等の手間も省けるからです。なお、自転車保険の場合、損害保険でカバーされる損害範囲について上限が設けられていることが多いため、その上限を超える場合は事業者自らが負担する必要があります。
(2)事故が発生した場合
自転車利用者が加害者の場合
あまり知られていないのですが、自転車も道路交通法上の車両に該当する以上、交通事故が発生した場合は救護義務と報告義務が課せられています。自転車利用中に交通事故が発生した場合、そのまま立ち去ってしまう運転者が一定数存在するのですが、この場合ひき逃げ事件として捜査対象となることに注意が必要です。
ところで、事業者の従業員が救護義務と報告義務を怠り、事故現場から立ち去った場合、後日当該従業員が逮捕されるという事例が実はあったりします。当然のことながら社内は混乱しますし、業務遂行にも支障を来します。また、被害状況によっては悪質なひき逃げ事件として公表される場合があります。この場合、従業員の氏名はもちろん、会社の名称等も実名報道される可能性があり、そうなった場合は会社の信頼・評判等を落とす(レピュテーションリスク)ことにもなりかねません。
以上のことから、業務で自転車を利用させる場合、道路交通法上の車両に該当すること、したがって、道路交通法上の義務を一通り教育すると共に、万一交通事故が発生した場合は救護義務及び報告義務があることを指導しておく必要があります。なお、就業規則の服務規律に自転車運転時のルール等を念のため定めてことも有り得る話です。
そして、交通事故が発生した場合、直ちに会社に報告すること、損害保険に加入している場合は速やかに損害保険会社に通知すること(報告遅滞に注意)、被害者対応を行うこと等の社内ルールをあらかじめ定めておくことが重要です。
ちなみに、業務中に発生した交通事故である以上、会社の使用者責任は免れず、対被害者との関係では会社が損害賠償責任を負うこと、会社が被害者に対する損害賠償を行った場合、よほどのことがない限り自転車を利用した従業員本人に対して求償することは難しいことも押さえておく必要があります。
自転車が被害者の場合
自転車を利用する従業員等が交通事故被害にあった場合、現場での対応としては、次のようなことを行うのが望ましいと考えられます。
- 警察への事故報告(なお、加害者が嫌がる、その場での示談を持ち掛けることもありますが、極めて軽微な被害でない限りは応じるべきではありません)
- 加害者を特定する情報の確保(氏名、連絡先など)
- 周囲状況の証拠の確保(自転車の破損状況、相手が車両であれば相手車両の破損状況を撮影する、交通事故発生地点が分かる場所の撮影(全体写真、近接写真の両方)など)
- 目撃者の確保(連絡先など)
- 診断書の確保(可能であれば当日に病院に行き、診断書を入手する)
なお、事業者としては、従業員が労災保険を利用したい旨申出てきた場合、手続きに協力する必要があります。従業員が申出てこなかったとしても、労災保険の案内は行ったほうが無難です。
また、事業者が加入している保険にもよりますが、従業員が業務中にけがをした場合に支給される保険があったりしますので、一応保険会社(保険代理店)に尋ねてみたほうが良いかもしれません。
業務委託先の場合
従業員ではない業務委託先の担当者が、事業者が保有する自転車を利用している際に交通事故を起こした又は交通事故の被害にあった場合、原則的には事業者が、対被害者、対業務委託先に対して責任を負うことはありません。
ただ、事例によっては事業者が被害者に対して使用者責任を負う場面も考えられます(使用者責任の使用関係は雇用・労働契約に限定されていないため)。特に業務委託先が個人事業主・フリーランスの場合、被害者が事業者に対して責任追及するリスクが高まることから、事業者としても何らかの事前対策を講じたほうが無難といえます(例えば、自転車保険について自社従業員以外の者が利用した場合であってもカバーされるようにする等)。
2.自転車通勤
(1)自転車通勤の可否
そもそも論として、従業員が自宅から会社まで、自転車のみを用いて通勤する旨申出てきた場合、事業者は必ず許可しなければならないのかという問題から検討する必要があります。
これについては結論から言うと、許可するか否かは会社の裁量判断であるとなります。
駐輪場の確保、事故の危険性、公共交通機関による通勤の可否、他の従業員との関係(例えば、他の従業員より汗臭い、不衛生である等の指摘を受ける可能性あり)を考慮しながら判断することになると考えられます。
では、今まで自転車通勤を明確に禁止していなかった、あるいは許容されていたにもかかわらず、改めて自転車通勤を禁止することはできるのでしょうか。
基本的には労働条件の不利益変更の問題が生じます。特に従前より自転車通勤を行っていた従業員が存在し、業務遂行に特段の支障をきたしていなかった場合、不利益の程度が大きいと言わざるを得ません。もちろん従業員本人の同意を得ることなく、就業規則の変更手続きを踏むことで自転車通勤禁止とすることができる場合もありますが、近年の健康志向・環境配慮の状況を踏まえると、自転車通勤を禁止する必要性についてはハードルが高くなっていると考えられることに注意が必要です。
なお、自転車と似て非なる移動手段として、電動キックボード(電動キックスケーター)と呼ばれるものがあります。電動アシスト付き自転車と誤解されているところがあるのですが、一般的に普及している電動キックボードは法律上原動機付自転車として取り扱われます(モーターの出力数によって車両区分が異なります)。したがって、事業者としてはバイク通勤の1つとして対応したほうが現時点では無難と考えられます。
(2)自転車通勤を認める場合
社内規程の整備
自転車通勤を認める場合、マイカー通勤を認める場合に準じて
- 駐輪場の確保
- 賠償責任保険への加入
- 会社による許可制
という条件整備を行うべきです。そして、これらの条件を明記した社内規程を作成し、従業員に周知することが重要となります。以下では、国土交通省が公表した資料(本記事の最後にリンクを貼っておきます)を参照にしつつ、一部執筆者が変更した社内規程例を掲載しておきます。
自転車通勤規程
第1条(総則)
本規定は、従業員が通勤のために自転車を使用する場合の取り扱いについて定める。
第2条(利用者)
1.自転車通勤を希望する者は、所定の申請様式を●(主管部署)にて定める部署へ提出のうえ、許可を受けなければならない。
2.会社は、次に定める要件をすべて満たした場合、前項に定める許可を行う。
1)会社が定める誓約書に署名押印し提出すること
2)合理的な通勤経路を定め会社に報告すること
3)賠償責任保険(対人保険1億円以上)に加入し、加入していることを証する保険証書等の写しを提出すること
4)従業員自らの入院・通院などが補償される保険に加入し、加入していることを証する保険証書等の写しを提出すること
5)駐輪場所を確保していること
6)自転車による通勤距離が片道●キロ以上●キロ以内であること
3.会社は、自転車通勤を許可した者に対し、「許可証シール」を交付する。許可を受けた者は、それを速やかに自転車の視認できる箇所に貼付しなければならない。
4.シェアサイクルを利用する場合、本条第2項第2号については、「シェアサイクル事業者が本条第2項第2号に定める保険に加入し、従業員が被保険者となること」と読み替え適用する。
【コメント】
国交省の資料では、2条として「自転車通勤は、原則として、自転車を運転することができる健康状態にある従業員に限り認める。」と定め、あたかも会社への事前申請を要せず自転車通勤ができるように読めるのですが、18条で許可制を定めるという何とも分かりにくい構造になっています。
そこで、修正案として、2条の内容を削除し、18条の内容をここに定め、原則許可制であること、許可基準を明記するという修正を行っています(なお、国交省の資料では、許可基準の一部と考えられる5条、6条、9条、10条、12条の定めがありますので、その内容を反映させています)。
第3条(対象とする自転車)
通勤に使用する自転車は、次に定める全ての事項につき適合させる。
1)道路交通法に定める自転車であること
2)自転車の安全に係わる装備は法律に準拠し、正しく装着されている自転車であること
3)定期的に正しく整備・点検された自転車であること
4)防犯登録された自転車であること
【コメント】
上記2.(1)でも触れた電動キックボードを自転車と同等のものと勘違いしている従業員がいることを想定し、あえて道路交通法上の自転車であることを追加しました。
第4条(禁止事項)
1.運転に際しては、次の各号に該当する行為をしてはならない。
1)自転車を業務遂行のために使用すること
2)勤務時間中に自転車を私用で使用すること
3)飲酒や過度の疲労等、安全運転が困難と予想される状態で運転すること
4)スマートフォン等の携帯端末を使用しながら運転すること
5)無断駐輪、迷惑駐輪をすること
6)その他、道路交通法令により禁止されている行為をすること
2.前項の事項に該当する行為をした場合、自転車通勤の許可を取り消すことがある。
【コメント】
国交省の資料では、4条は「用務場所への直行直帰や私事目的での立寄りについては●km未満の場合のみ認めるものとする」となっているのですが、これでは自転車を業務遂行中に利用することを認めることにもなりかねません。そこで、4条では業務上での利用禁止を含めた禁止事項を定める形で修正を行っています。なお、国交省の資料でも19条に禁止事項について定めがあるところ、その内容は反映させています。
第5条(公共交通機関との乗り継ぎ)
従業員は自宅から勤務地までの合理的な経路上において、公共交通機関がある区間について、自転車と公共交通機関を乗り継げるものとする。
第6条(日によって異なる交通手段の利用)
通勤時の交通事情や天候などの状況に応じて、自転車通勤をする者が自転車以外の合理的な交通手段(電車やバスなどの公共の交通機関)によって通勤することも認めるものとする。但し、交通費は支給しないものとする。
【コメント】
国交省の資料では8条に該当するものです。交通費を支給するか否か争いが生じうるため、ここでは支給しない旨明記しました。
第7条(事故時の対応)
自転車通勤途上に交通事故の当事者となった場合は、負傷者の救護および警察への届出を行うとともに、速やかに会社に報告し、会社の指示に従って行動しなければならない。
第8条(責任)
1.従業員は、自転車通勤中の事故によって生じた第三者への損害賠償責任について、自らの責任と負担で処理解決を行うものとする。なお、会社は当該第三者への損害賠償責任を負わないものとする。
2.従業員の自転車通勤中の事故によって会社が損害を受けた場合、会社は従業員に対して賠償又は求償請求を行う場合がある。
3.通勤中または駐輪中の自転車の損傷、盗難等による不利益は従業員が負担するものとし、会社は責任を負わないものとする。
【コメント】
国交省の資料にはない条項です。1項については使用責任の問題があり、2項については従業員への求償制限の問題があるため、やや有効性に疑義が残るのですが、従業員への注意喚起を図る観点からあえて定めました。
第9条(懲戒)
従業員が本規定に違反した場合、会社は就業規則に基づき懲戒処分を行う。
第10条(通勤手当)
1.自転車通勤をする従業員には、通勤手当を次のとおり支給する。
(詳細省略)
2.通勤に使用する自転車の修理費その他一切の費用については、従業員の自己負担とする。
【コメント】
後述しますが、通勤手当を支給することは義務ではありません。したがって、自転車通勤において通勤手当を支給しないのであれば、10条1項の規定は不要です。10条2項については念のため明記してよいかと考えられます。
通勤手当
通勤手当は必ず支給しなければならないというものではありませんので、自転車通勤の場合、通勤手当をゼロとすることも有り得る話です。
仮に支給する場合、非課税枠との関係がありますので、この点を考慮しながら距離数に応じて支給するということになると考えられます。
労災保険
自転車通勤は、労災保険で定める通勤手段として「合理的な方法」に該当します。
したがって、「合理的な経路」により移動していると評価される限りは、自転車通勤であっても労災保険の対象となります。そして、これは自転車通勤を行っている旨事業者に申告していなかった場合も同様です(もちろん、無申告を理由とする懲戒対象となること、通勤手当の不正があった場合は返金対象となることは別の問題です)。
なお、合理的な経路から逸脱した場合、又は移動を中断した場合は、逸脱・中断した間はもちろんのこと、その後に通勤経路に戻ったとしても労災保険の対象とならないことが原則です。ただし、逸脱・中断が日用品の購入のためなど厚生労働省令で定めるやむを得ない事由に該当する場合は、逸脱・中断後の通勤再開後は労災保険の対象となります。
逸脱・中断の例外については、本記事の最後に引用している国土交通省が公表している次の資料にてご確認ください。
(3)使用者責任
従業員が自転車を利用して通勤している最中に交通事故を起こし、何らかの損害を与えた場合、事業者も責任を負うのかが問題とあります。
この点、通勤手段として自転車を利用しているにすぎない場合、事業者が使用者責任に基づき損害賠償責任を負うことは原則ないと考えられます(裁判例を見る限り、自動車の場合と比較すると、自転車は使用者責任を否定される傾向があるようです)。もっとも、従業員の私物である自転車を、例えば取引先への移動手段として業務に用いている等の実情があり、事業者もその点を(黙示的であっても)容認していた場合、たとえ通勤途中の事故であったとしても、事業者が使用者責任に基づく損害賠償責任を負う可能性は否定できません。
リスクヘッジの観点からすると、従業員の私物である自転車を一切業務に使用させないこと、日常的に注意指導を行うことが重要になると考えられます。
(4)参考
自転車通勤の導入に関しては、国土交通省が資料を公開していますのでこちらもご参照ください。
<2022年4月執筆>
※上記記載事項は弁護士湯原伸一の個人的見解をまとめたものです。今後の社会事情の変動や裁判所の判断などにより適宜見解を変更する場合がありますのでご注意下さい。
弁護士 湯原伸一 |