【ご相談内容】
当社では、即戦力として期待できる求職者を中途採用する方針です。その求職者は「自分は顧客を持っているので、売上拡大に貢献できる」と言っているのですが、採用に際して注意するべき事項はあるでしょうか。
一方、当社では、長年製造一筋で業務従事していた技術系の従業員が退職することになりました。同業他社に引き抜かれたような噂もあるのですが、何か注意するべき事項はあるのでしょうか。
【回答】
中途採用者が保有している顧客情報について、元勤務先の営業秘密に該当する又は秘密保持契約に基づき機密情報と指定されている可能性があります。したがって、安易に会社(採用側)業務に利用した場合、不正競争防止法違反や不法行為として法的制裁を受けるリスクがあるので、採用に先立ち調査を行う必要があると考えられます。また、この調査の際に、競業禁止義務が課せられていないか等の調査も併せて行うべきと考えられます。
一方、退職予定者に対する対応としては、退職前までに秘密保持誓約書を徴収するよう努めると共に、営業秘密や機密情報が含まれている媒体物を回収する(返還してもらう)等の退職予定者に営業秘密や機密情報が残らないよう物理的な対策を講じることが肝要となります。また、合理的な範囲に留まる競業禁止を退職予定者と合意することも考えられます。なお、当社内で重要な地位を占める人物であれば、退職後の一定期間は動向を調査し、転職先等が判明した場合は、情報漏洩がないか調査を行うことも必要と考えられます。
【解説】
1.はじめに
入社後一貫して同じ会社で勤務することは一昔前であれば当然であり、むしろ中途採用者はワケアリ人材のような風潮がありました。ところが、現在では雇用の流動化、すなわち、労働者としてもよりよい待遇を求めて転職を行うことがむしろ当たり前になってきました。こうした社会風潮の変化により、企業としても、知識経験を期待し即戦力として中途採用を積極的に行うようになっています。
こうした状況の中、新たな問題がクローズアップされています。それは企業の機密情報が、転職を通じて他社に漏れてしまったことで、企業間(労働者から見れば転職前に勤務していた企業と転職後の企業)で深刻な紛争が生じているという問題です。
以下では、中途採用する場合と退職者が生じた場合のそれぞれにおいて、情報にまつわるリスクとその回避策につき解説します。
なお、この記事内では「営業秘密」とは不正競争防止法に定める営業秘密を指し、「機密情報」とは秘密保持契約や社内規程等で機密(秘密)指定されている情報を指します。営業秘密に関する法制度については、次の経済産業省の資料等でご確認ください。
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2.中途採用する場合
(1)機密情報の混入(コンタミネーション)リスク
中途採用する動機は様々あると思われますが、多かれ少なかれ、受入企業としては、中途で採用する人物に対し、これまでの知識や経験を活用して貢献してほしい=即戦力として期待するという点はあると考えられます。先に記述しておきますが、この動機は正当であり、法的な問題が生じることはありません。
問題が生じるとすれば、中途採用する人物が保有している知識や経験、すなわち「情報」が、当該人物を受け入れた企業に紛れ込んでしまい、何も考えずに当該企業が使用し続けた結果、当該人物の元勤務先から警告、使用差止・損害賠償の民事訴訟の提起、場合によっては刑事罰を受けてしまうという点です。
もちろん、受入企業が中途採用者を通じて、一切の「情報」を取得してはいけないというのもおかしな話です。また、求職者にとっては転職活動の妨げになってしまいます。したがって、中途採用を行う企業において取得することが禁止される「情報」には一定の制限が発生します。すなわち、不正競争防止法に定める「営業秘密」、中途採用者と元勤務先との秘密保持契約に基づき守秘義務を負う「機密情報」が、中途採用を行う受入企業において、取扱いに気を付けなければならない情報となります。
(2)採用前に行うべき事項
上記(1)で記載した通り、営業秘密や秘密保持契約に基づき定められた機密情報が混入しないよう、中途採用を行う企業としては対策を講じる必要があります。具体的には、採用前の面接等の段階で、次のようなヒアリングを行い、営業秘密や機密情報の混入が生じないかをチェックします。
・受入企業への求職申し込みを行った経緯・理由(動機)
・元勤務先で従事していた業務内容
・元勤務先での役職、地位
・元勤務先から支払われていた手当(名称)、対価内容(機密情報を取扱っていたことに対する対価性の確認)、具体的な金額
・元勤務先から支給された退職金に対する割増の有無(秘密保持義務を課し続けることに対する代償性の確認)
・秘密保持誓約書や競業禁止誓約書など元勤務先に提出した書類の有無
・(提出しているのであれば)その内容
・(提出していないのであれば)就業規則等の社内規程上の秘密保持義務・競業禁止義務の有無とその内容
※中途採用予定者が特に技術系の場合はさらに次の点もヒアリングを行う。
・元勤務先での業務遂行による発明・考案の有無
・当該発明・考案に関する特許等の権利化の動きの有無
・元勤務先における職務発明の取扱いに関する内容
上記のヒアリングに際してのポイントとして、受入企業は営業秘密や機密情報、発明・考案の具体的内容を根掘り葉掘り聞かないという点があります。なぜなら、聞きすぎてしまうと、かえって企業の意図しないところで、営業秘密等を不正入手したことになりかねないからです。あくまでも「有無」に留めるべきであること要注意です。
ところで、求職者からのヒアリング以外に慎重を期して、元勤務先に対し、競業禁止や秘密保持の有無等を照会するということも一応は考えられます。ただ、求職者によっては、元勤務先に籍を置きつつ秘密裡に転職活動を行っている可能性もあり、こういった照会を行うことで、求職者とトラブルになる可能性があります。こういった照会をそもそも行うべきなのかという点も検討する必要がありますが、仮に照会を行うにしても、事前に求職者より承諾を得るようにするべきです。
(3)採用時の対応
中途採用した人物に対し入社時の手続きとして様々な誓約書等にサインしてもらうことが多いと思われます。その際に、次のような内容を盛り込んだ誓約書にもサインしてもらうことを検討するべきです。この目的は、少なくとも採用段階では、受入企業としても営業秘密や機密情報の不正取得にならないよう十分に注意を払っていた証拠を残すという点になります。
・元勤務先との競業禁止義務に違反していないこと
・元勤務先の営業秘密(不正競争防止法に定めるもの)を当社内で開示及び使用しないこと
・元勤務先で完成させた発明・考案等を当社に譲渡すること、及び当社を通じて出願させないこと
・元勤務先との秘密保持義務の対象となる情報を当社に開示しないこと
・元勤務先が機密情報と定める情報を含んだ媒体を一切持ち出していないこと
(4)採用後の対応
競業禁止義務違反の可能性がない、営業秘密及び機密情報の漏洩可能性がないことの一応の確認が取れた場合、中途採用者に対して、元勤務先で従事していた業務と同一内容の業務を割り当てることは問題ありません。
もっとも、後で違反が発覚する場合もあれば、元勤務先との見解の相違により紛争状態になってしまうこともあり得ます。この場合、中途採用者を信用して元勤務先と対峙するのか、元勤務先の主張を受け入れて何らかの妥結を図るのか、究極の選択を迫られることになります。ケースバイケースの判断とはなりますが、受入企業としては、早期に弁護士等の専門家に相談して方針を決めるべきです。
3.退職者が生じる場合
(1)機密情報の漏洩リスク
労働者が退職することを止めることは不可能です。そして、労働者に紐づいている情報が外部に漏れだしてしまうことも不可避的な現象と言わざるを得ません。
もっとも、紐づく情報が不正競争防止法に定める「営業秘密」に該当する場合、退職した労働者に対してはもちろん転職先に対しても、営業秘密の使用差止や損害賠償といった民事対応が可能です。また、刑事罰を求めて告訴するといった対応も検討できます。一方、営業秘密には該当しないものの、元勤務先と労働者との間で秘密保持契約を締結していた場合、秘密保持義務違反を根拠にした法的対応も検討することができます。
ただ、こういった対応をとるためには、労働者が退職する旨申出てから準備を進めても、残念ながら功を奏しません。あえて申し上げるとすれば、労働者が入社する時点で対策を講じる必要があるといっても過言ではありません。というのも、労働者は退職を申し出た段階で、既に会社に対する忠誠心は薄れており、わざわざ自らを縛るような誓約書には簡単にサインをしないからです。一方、入社直後であれば、会社に対する忠誠心は非常に高いことから、自らを縛ることになる誓約書であってもサインしてもらえやすいという実情があります。したがって、以下で記載する秘密保持義務及び競業禁止義務は、できる限り早い段階で書面化し証拠にするということを心掛ける必要があります。
(2)情報漏洩防止策としての秘密保持義務
労働者に対して秘密保持義務を課すために誓約書を徴収する企業は多いと思われますが、ここでは、内容面でご留意いただきたい事項を解説します。
①機密情報の定義を具体的に書いているか
企業側の考えとして、なるべく色々な情報を機密情報の中に含ませることを目的として、「業務遂行により知り又は知りえた一切の情報」とあえて抽象的に広く定義しているものを見かけます。しかし、これは止めたほうが良いと考えます。なぜなら、裁判例などを紐解けばわかるのですが、過度に抽象的に機密情報の定義を行った場合、結局何が機密情報に含まれるのか労働者が予見できないとして、企業が主張する情報は機密情報に含まれないという限定解釈を行い、企業敗訴とするものが数多く存在するからです。
確実に機密情報であると考えるものを具体的に列挙し、一義的に機密情報の該否が判断可能な内容にすることがポイントとなります。
②機密情報を含んだ媒体物返還義務を書いているか
物理的な対策となりますが、退職予定者の手元に機密情報を残さないというのは有効な対策となります。なお、これに関連して、機密情報を複写・複製した媒体物の返還はもちろんのこと、媒体物を一切保有していないことまで表明させることもポイントになりえます。
③機密情報に関する権利が会社帰属になることを書いているか
機密情報を含む媒体物を返還しても、人間の記憶として頭の中にはどうしても残ってしまいます。そして、これを完全に消し去ることは不可能です。こういった場合を考慮して、機密情報に関する権利は会社に帰属することを明記し、将来的に労働者が、自らが権利者であるとして自由使用可能であると主張してくるのを防止できるようにすることがポイントとなります。
④退職後に取引先等の元勤務先関係者より連絡があった場合への対応を書いているか
退職者の認識として、全くの部外者である第三者に対しては元勤務先のことに関して何も話をしないものの、元勤務先の取引先等の関係者の場合、“よかれ”と思ってペレペラ話をしてしまい、結果的に情報漏洩を起こすということがあり得ます。そうした事態を防止するためにも、取引先等の元勤務先関係者より連絡があった場合、「退職した事実のみ回答する」といった内容を定めておくことも有用です。そこからさらに、当該関係者より連絡があった旨報告義務を課すといった内容を定めることもあります。明記すること自体は問題ありませんが、既に労働契約が終了している以上、実効性は薄いと考えたほうがよいかと思います。
⑤情報漏洩が発生した場合の法的制裁について書いているか
あくまでも訓示的な意味合いに留まるのですが、例えば、営業秘密を不正に開示した場合は不正競争防止法違反として刑事罰を受けることがあること、機密情報を不正に開示した場合は背任や業務妨害等で刑事罰を受けることがあること、退職後に元勤務先が管理するサーバ等へ侵入しデータを持ち出すことは不正アクセス禁止法による刑事罰を受けることがあること、といった具体的な法律名を明記し警告することは、意外と効果があるようです。
もちろん明記しなくても、法律違反行為があった場合は処罰されうること当たり前なのですが、具体的に指摘するか否かで、退職者に対する心理的な抑制力が異なることも知っておいてよいかと思います。
(3)競業禁止義務の有効性
退職者が保有する機密情報等を欲しがるのは、通常は同業他社(異業種であっても新たに同一市場に参入することを計画している事業者を含む)と考えられます。そこで、手っ取り早く情報漏洩を防止するための方策として、退職者に対して競業禁止義務を課すことがあります。
この競業禁止義務は、割とさらっと書いてあることが多いのですが、実際に裁判等で会社が退職者に対し、競業禁止義務を根拠に何らかの請求を行った場合、かなりの確率で負けてしまうことが多いと言われています。これは退職者の職業選択の自由を害するという理由からです。もっとも、裁判所も一切合切の競業禁止義務が無効であるとまでは言い切っていません。よくある言い回しとしては、「企業秘密の保護、転職・再就職の不利益、独占集中や一般消費者の利害等の社会的要請の3点を考慮しつつ、合理的範囲内に留まるのであれば競業禁止義務は有効である」といったものがあるのですが、現場実務で重要なのは、合理的範囲の具体的内容をどのように定めるのかという点です。具体的内容としては次の4点があげられます。
・時間的制限(競業禁止義務を負担する期間)
・地理的制限(競業禁止義務を負担する地域)
・内容的制限(競業禁止義務の対象となる職種)
・代償措置(競業禁止義務を課す代わりの相当対価の支払い)
例えば、競業禁止義務を負担する代償措置として割増退職金を支払い、その上で「退職者は、当社退職後1年間、関西地区内で××業を営む事業者の元で労務の提供その他の業務を遂行してはならない」といった規定を設けることが考えられます。
(4)情報漏洩が疑われる場合の対応
当然のことながら裏付け調査を行い、証拠を固めるという準備作業が必要となりますが、なかなか思うように調査が進まないというという実情もありうる話です。そのため、確たる証拠までつかめたわけではないものの、相応の疑いありという段階で見切り発車的に対策を講じなければならない場面も生じます。
この対策ですが、退職者に対して警告等を行うことは当然のこととして、退職者の転職先に対して連絡を取ってよいのかが検討事項となります。
これについては色々な考え方があるかと思いますが、執筆者は、断定的な言い回しではなく、あくまでも注意喚起又は照会を行うという体裁で転職先に連絡をとってみるということを提案しています。たしかに、断定的な言い回しではない以上、かなりインパクトの弱い通知内容なることは否めません。しかし、それでも転職先に対する事実上の抑制効果は期待できることがあります。また、漏洩した情報が営業秘密に該当する場合、通知以後は転職先が悪意又は重過失である(転職先に対して不正競争防止法に基づく営業秘密侵害を主張する場合の一要件として悪意・重過失があります)ことが言いやすくなるというメリットもあります。
ただ、注意喚起又は照会という微妙な言い回しになりますので、通知書を送付するのであれば、弁護士等の専門家に作成してもらうのが望ましいと考えられます。
<2021年2月執筆>
※上記記載事項は弁護士湯原伸一の個人的見解をまとめたものです。今後の社会事情の変動や裁判所の判断などにより適宜見解を変更する場合がありますのでご注意下さい。
弁護士 湯原伸一 |