【ご相談内容】
事業経営をやっていると、どうしても法務の力が必要となる場面が生じてきます。
ところで、法務の力といっても、単に法的知識を知っているだけではダメで、その知識をどのように活用するか、要は法務戦略によって事業者が得られる利益に大きな差異が生じると聞き及んだのですが、どういう意味なのでしょうか。
具体例をあげながら教えてください。
【回答】
中小企業にとっては、法務=裁判手続きといったイメージに留まることがまだまだ多いかもしれません。
しかし、本記事では、金銭支払いを請求する事例において、法的知識を前提にした上で、どうやって自社に有利な土俵を設定するのか、どのようにして自社利益を確保する戦略をとっているのか、3つの事例を参照しながら「賢い法務戦略」という視点で解説を行います。
【解説】
1.取引先へ債権回収を行う場面
債権回収は典型的な法務が活躍する場面ですが、非常に奥が深く、思った以上に緻密な戦略が要求されます。ここでは賢い法務戦略として5つのポイントをあげておきます。
【ポイント1~鉄は熱いうちに打て】
計画的に支払いを免れようとする例外的な場合を除き、支払いができなかった債務者の当初の心理状態は、「債権者に迷惑をかけて申し訳ない」と自らの責任=支払い義務があることを認めていることが通常です。しかし日が経つにつれ、余計な(?)知識を吸収し、「支払いができなかったのは××のせいである」と責任転嫁を図ろうとしたり、「そもそも商品を購入していない」と虚偽の事実を強弁するなどして、支払い義務がないと態度を翻してきます。
このような実態を踏まえると、債権者としては、未払いを発生させた直後に債務者より支払い義務があることの言質を取ること、できれば書面化することが、賢い法務戦略となります。言質の取り方としては録音がもっともポピュラーですが、書面として次のようなものが考えられます。
【参考書式】
株式会社●● 御中
確認書
当社は、●年●月●日付売買契約に基づき、引渡済みの商品●に関する代金●円について、支払い義務があることを認めます。
年 月 日
住所
会社名
代表者名 ㊞
非常に簡単な内容すぎて、不安になるかもしれません。しかし、あれもこれも内容を盛り込むと、今度は債務者が警戒して書面にサインをしないリスクが拡大していきます。
あくまでも支払い義務があることを確認することが第一目標ですので、上記書面を徴収するだけでも十分な成果といえます。
【ポイント2~商品、サービスに不良がないことの裏付け】
ポイント1よりさらに踏み込んでいける場合には…という条件が付きますが、債務者に「商品、サービスに不良が無いこと」を認めさせることができれば、債権者としては大きなアドバンテージを得ることになります。
なぜなら、ポイント1に記載したような「支払い義務を認める」だけの場合、例えば次のような反論を受けることで、債権回収手続きをスムーズに進めることができなくなるからです。
(例)
債務者:確かに商品は購入しました。しかし商品にキズが入っており、不合格品なので支払はできません。
債権者:商品にキズがあるというなら、見せてもらえませんか。
債務者:(商品を示しながら)××にキズがありますね。
債権者:当社を出荷した時点では××のようなキズはついていなかった。そちらの管理不十分でキズがついたのではないか。
債務者:そんなことはない。納品時点ですでにキズが入っていた。
(以後、キズがついた責任の所在について争いとなり、債権回収手続きが進まなくなる)
債務者が悪知恵を付ける前に、すなわち支払いが滞った直後に債務者と協議ができた場合、債務者も無理筋での不具合等を主張することは考えにくいことから、支払い義務の確認に付加して商品・サービスに不具合が無かったことの言質を取るのが賢い法務戦略となります。なお、書面を入手できる場合は、上記【参考書式】に記載した文言を次のように修正すれば対応可能です。
【参考条項例】
当社は、●年●月●日付売買契約に基づき、引渡済みの商品●に関する代金●円について、支払い義務があることを認めます。なお、当社による検査完了時において、当該商品には変質、異常その他不具合はありませんでした。
【ポイント3~分割払いを受け入れる場合の注意点】
債務者より、支払額によっては一括にて支払うことができないので、分割による支払いを懇願されることは現場実務でしばしば体験する話かと思います。一括払いにこだわるのか、分割払いを認めるのかはケースバイケースの判断になりますので、その点は置くとして、仮に分割払いを受け入れる場合、書面を締結することはもちろん、必ず期限の利益喪失条項を入れておくことが賢い法務戦略となります。
なぜなら、分割合意書に「債務者は債権者に対し、●年●月から●年●月まで、毎月末日までに金●円を支払う。」とだけ定めていた場合、次のような反論を受けてしまうからです。
(例)
債権者:2ヶ月連続で支払いが滞っており、これ以上は待つことができない。今直ぐ残額を一括で支払え!
債務者:いやいや、●年●月分以降はまだ支払期限が到来していませんよ。したがって、残額の一括払いは認められませんよ。
債権者:…
したがって、分割支払いを受け入れる場合は、次のような期限の利益喪失条項を必ず入れるようにしてください。
【参考条項例】
1. 債務者は債権者に対し、●年●月から●年●月まで、毎月末日までに金●円を支払う。
2. 債務者が次に該当する場合、債権者からの通知催告が無くても、当然に期限の利益を失い、既払い金を控除した残額及び残元金に対する期限の利益を喪失した翌日から支払済みまで年●パーセントの割合による遅延損害金を付加して直ちに支払う。
①1回でも支払を怠ったとき
②第三者より差押え、仮差押え、仮処分、その他強制執行もしくは競売の申立て、又は公租公課の滞納処分を受けたとき
③破産手続開始、民事再生手続開始又は任意整理の申立て等の事実が生じたとき
④●●(以下省略)
【ポイント4~躊躇することなく法的手続きへ(支払督促など)】
債務者が債権回収を妨害する常套手段として、債権者との直接協議や交渉を行わない・回避する、不合理な支払拒否事由を強弁する、支払うと約束しながらその約束を守らない、といったものがあります。いずれも共通するのが、交渉を長期化させ、支払い時期を将来に引き延ばす(場合によっては債権者に面倒だと思わせ、債権回収を諦めさせる)という債務者の思惑があるという点です。
このような場合、ゴールが見えずいつまで経っても事態が動かないということにもなりかねません。そこで発想の転換ではありませんが、思い切ってゴール(=判決により支払い義務が明確になる)の見える訴訟手続きに切り替えること、これにより結果的に早期解決に資することを知っておくのが賢い法務戦略となります。
なお、素人なので自分で裁判はちょっと…、しかし弁護士に依頼するのもちょっと…という考えを持たれるかもしれません。たしかに、裁判手続きはややこしいところがあるのは事実ですが、債権回収をこのまま諦めてしまうのも考え物です。ここは次のような記事も参照しながら、是非挑戦してほしいところです。
債権回収担当者が訴訟手続きを利用する場合のポイントを弁護士が解説!
【ポイント5~未来志向での回収を検討する】
債権回収の現場実務では、どうしても債権回収を実現することが困難と言う場面が出てきます。
ただ、多くの場合、今の時点で回収することは難しいと言わざるを得ないが、将来においてはどうなるか分からないということがほとんどです。例えば、執筆者が経験した事例では、判決まで取ったものの回収ができなかった事案について、消滅時効の期間が近付いてきたことから試しに強制執行手続きをやってみたところ、運よく(?)回収ができたことがありました。したがって、将来で回収を図ることができるよう下準備を進めておくことが賢い法務戦略となります。
なお、未来志向での回収を行う上での注意点ですが、次のような事項があります。
- 債権管理を行う担当者を決めておくこと
- 最低でも1年に1度は債務者の動向を調査し、記録に残すこと
- 消滅時効に気を付けること
ちなみに、2022年4月1日より民事執行法が改正され、債務者の銀行口座情報の調査が格段に行いやすくなりました。判決書や和解調書を入手しているのであれば、次の記事などを参照しながら債務者の財産を調査することも検討してください。
強制執行に際し、債務者の銀行口座情報を入手する方法について、弁護士が解説!
2.交渉中止による清算を取引先に行う場面
本格的な取引(製造業であれば試作から量産へ、システム開発業であれば企画から制作へ、不動産開発であれば根回し交渉から決済・引渡しへ)が開始することを前提に交渉を進めていたにもかかわらず、相手が突如交渉を打ち切った場合、これまでの交渉が無駄になってしまいます。
もちろん、取引を成立させるか否かは相手の判断ですので、一方的に交渉を打ち切ったことを理由に損害賠償その他法的請求を当然にできるわけではありません。
しかし、相手より取引を行うことを前提にした言動があったからこそ、時間・労力・金を使って準備を進めていたという場合、「契約締結上の過失」という理論に基づき、相手に対して損害賠償請求を行うことができる場合があります。
無駄となった準備活動に対する清算を求める場合の賢い法務戦略について、5点ポイントをあげておきます。
【ポイント1~交渉段階と別契約成立の有無】
やや分かりづらいタイトルとなってしまったのですが、例えばシステム開発の場合、
・システム開発の企画及び要件定義の作業…準委任契約
・システム制作…請負契約
といったフェーズごとで別契約が成立していると法的に評価できる場合があります(なお、企画・要件定義のフェーズであれば当然に準委任契約が成立するという訳ではないこと注意が必要です)。
もし交渉段階において準委任契約が成立していると法的に評価できる場合、民法上、一方的な契約解消は可能ではあるものの、解消された側が被った損害を賠償しなければならないという法的根拠が生まれることになります(民法第651条第2項)。
もっとも、契約締結に向けた準備としての協議にすぎないのか、準委任等の契約が成立したのか、明確な判断基準があるわけではありません。1つの考え方として、交渉段階で何を目標・成果として協議していたのか、当事者双方の認識を探るということがあります。具体的には、契約の締結を目標としていたのであれば別契約が成立していると評価することは難しい、一方、上記例であれば要件定義の作成という目標・成果が当事者双方の共通認識であったというのであれば準委任契約が成立していたといいやすい、といった具合です。
そこで、相手が身構える前に、交渉段階での目標・成果につき言質がとれないか探ってみることが賢い法務戦略となります。
【ポイント2~交渉経過が分かる一切の資料の確保】
交渉段階において別契約が成立していると法的な評価ができない場合、相手の言動により、当方は契約が成立すると信じていたのかを検討することになります。
もちろん、単に当方が勝手に契約を獲得できると思い込んでいただけではダメであり、相手の言動からして当方が契約成立を期待するのはむしろ当然である、という状態だったのかを明らかにすることがポイントとなります。
上記のような状態を裏付けるためには、議事録はもちろん、担当者間でのメールやチャットのやり取り、交渉時のやり取りを録音したデータ、当方提案資料、相手提示資料など何らかの媒体物に記録されているもの一式、担当者の手帳等に記載されたメモ書き、担当者が記憶している交渉内容を再現した書面などが考えられます。
ちなみに、上記のような状態が法的に救済対象となるか否かは弁護士に相談し判断することになるのが一般的ですが、これらの資料を早期に収集し、できれば時系列表にまとめておくことが賢い法務戦略となります。なぜなら、時間が経過すれば資料は散逸し、人の記憶は曖昧となっていくこと、時系列表を作成しておくことで弁護士の検討時間を大幅に省略させることができるからです。
【ポイント3~契約成立に至るまでのプロセスの見える化】
いわゆる「契約締結上の過失」を根拠に損害賠償請求を行う場合、上記ポイント2で記載した「相手の言動」が重要な考慮要素となるものの、他にも契約交渉がどこまで進んでいたいのかという点も重要な考慮要素となります。
なぜなら、交渉期間が長期に及んでいる、あるいは交渉が相当数行われていたとしても、基本的な条件面で折り合いがついていない場合、契約成立への期待が法的な保護対象になるとは言い難いからです。また、契約交渉が中止となった理由として、主として当方側に問題があり、それが解消できなかったこととなると、相手に責任が無い以上、損害賠償請求することは不可と言わざるを得ません。
そこで、どういった取引条件(金額、仕様など)が合致すれば契約成立となるのか、取引が不成立となる障害事由(納期、品質保証など)は何だったのか、交渉段階で一部合意していた事項はあるのか、具体的な作業スケジュールは決まっていたのか、契約のクロージング予定日は示されていたのか等々の情報を整理し、契約成立に至るまでのプロセスと現状どの段階にまで達していたのかを明らかにすることが重要となります。
そして、これらの情報をいち早くまとめて整理することが賢い法務戦略となります(資料の散逸、記憶の曖昧化、検討時間の短縮化を実現するため)。
【ポイント4~先行的な作業依頼の有無】
契約が成立するまでは作業を開始しないことが通常ですが、相手が提示する納期との関係上、契約成立前に作業を開始しないことには納期に間に合わない…ということが現場実務ではよく起こります
そして、契約成立を見越して何らかの作業を開始することが多いのですが、最終的に契約不成立となった場合、往々にして相手は「そちらが勝手に始めたことだ!」として、清算に応じようとしません。
そこで、相手の希望により作業を開始したこと、相手の指示に基づき作業を開始したこと、作業開始につき相手が承諾していたことなど、当方が勝手に作業を開始したという相手反論を封じることができるよう裏付けをとるのが、賢い法務戦略となります。
なお、契約交渉の最中、何らかの書面を入手できそうであれば、例えば次のような書類を徴収しておけば、重要な証拠になると考えられます。
【参考書式】
依頼書
現在交渉中の「●システム」の開発について、貴社との委託契約が整うまでの間、本依頼書により委託契約(仕様調整/設計)の実施をお願いいたします。
なお、本依頼書発行後に、委託内容、契約予定金額等の変更が発生した場合は、両社協議の上、依頼書の内容を修正、変更するものとします。
株式会社●●御中
年 月 日
住所:
会社名:
代表者名:
【ポイント5~契約交渉時に負担した特段の費用と裏付けの確保】
契約交渉が中止したことにより、相手に対して損害賠償を行う場合、①相手に責任があるのか、②具体的な損害額はいくらなのか、の両方を検証する必要があります。そして、上記のポイント2からポイント4に記載事項は、①に関係する事項となります。
ところで、②に記載した損害額の算定は、実はものすごく難しい問題となります。例えば次のような問題です。
- 交渉中に負担した経費
・相手との取引のために新規購入した物品であっても、当該物品が転用可能であれば、損害が発生したとは言い切れない。
・相手との交渉のために労力を投じたといっても、相手との交渉の有無にかかわらず本来人件費は負担するものであり、損害が発生したとは言い切れない。
・交渉のために要した交通費や資料代等は、契約の成否に関係なく発生する営業経費であり、損害が発生したとは言い切れない。 - 契約が成立したのであれば得られたであろう利益(逸失利益)
・実際に契約が成立したわけではないことはもちろん、契約成立後も適切な業務遂行が可能であったのか分からない以上、損害が発生したとは言い切れない。
要は、逸失利益を請求することは難しいことを理解しつつ、一般的な営業経費に含まれず「本件取引のためだけに負担した費用は何か」を抽出し、裏付け証拠を揃えることが賢い法務戦略となります。あるいは発想の転換となりますが、経費の負担という視点ではなく、契約交渉中に行った作業の価値を把握し、当該作業遂行にかかる報酬相当額の請求ができないかを検証することも賢い法務戦略と言えるかもしれません。
具体的な損害額の算定は意外と見落としがちであり、また極めて高度な法的知識を必要と閉まるので、是非弁護士に相談してほしい内容となります。
3.(参考)従業員が会社に与えた損害・損失を清算する場面
本来利益は取引によって得るものですが、会社負担となった費用を適切に清算し“損”を出さないことによって、他で獲得した利益の足を引っ張らないという視点も必要となります。
典型的には会社が取引先等の第三者の行為により損害を被った場合、損害賠償請求を行うことで清算する(原状に戻す、プラスマイナスゼロにする)という場面になるのですが、この第三者が従業員となる場合、プラスマイナスゼロにならない(会社が一定の損を負担する)という特殊な状態となります。
労使関係は独特な法的思考が必要とされ、なかなか経営者の方々に理解してもらえない事項であることから、本記事では賢い法務戦略として5点のポイントを簡単に解説します。
【ポイント1~従業員に対する違約金は無効】
例えば、人材確保が難しい業界では、入社してきた従業員に対して“祝い金”等の名目で会社が一定額を支給することがあります。ただ、この支給には条件があり、一定期間内に退職した場合は返金するといったことが定められていたりします。
さて、上記例において、一定期間内に退職した場合、会社が従業員に対して祝い金の返金を求めることができるでしょうか。
残念ながら不可です。なぜなら、労働基準法第16条に違反してしまうからです(同条では違約金の定めは無効としています)。
したがって、会社は祝い金相当額につき損を被ることになります。
ところで、祝い金ではなく、入社時に何かと物入りであることを前提にした会社からの貸付金という取扱いを行った場合はどうなるのでしょうか。
この場合、貸付金である以上、会社が従業員に対して返金請求することは可能です。
そこで、賢い法務戦略としては、従業員と金銭消費貸借を締結し、勤続期間が一定期間を経過した場合は返金を免除するという法的構成をとることで、会社が損を被らないように対策を講じることになります。
【ポイント2~従業員に対する損害賠償請求は制限あり】
例えば、従業員が社有車を損傷させた場合、会社としては従業員に対し修理代等の損害賠償を請求したいところです。ところが、法律上、会社が従業員に対して、被った損害全額を請求することは原則不可とされています。
これは報償責任という法的な考え方となるのですが、端的には会社は従業員を用いて利益を得ているのだから、従業員に問題行動による損も会社が負担せよ、という理屈となります。
上記のような事例の場合、基本的には修理費等は全額会社負担、事故発生原因によって修理費用の2割程度の請求が可能というのが、一応の相場のように思われます。
残念ながらこれは回避対策がありませんので、賢い法務戦略としては、最初から一部しか請求ができないことを認識しつつ、損害保険等でリスク分散すること、損害保険を利用した場合の保険料増額分を従業員からの回収分で充当し、少しでも損失を減らすことが対処法になると考えられます。
【ポイント3~天引き禁止】
従業員より何らかの理由で会社への支払を行ってもらう場合、会社が勝手に給料より天引きして支払処理を行うことは違法となります(労働基準法第24条第1項)。
この天引き禁止については、かなり多くの経営者が勘違いしていると執筆者は感じているのですが、例えば、従業員が労働基準監督署等に駆け込んだ場合、会社は確実に指導対象となりますので、要注意事項となります。
このようなリスクを回避するための賢い法務戦略としては、①天引きに関する労使協定を締結すること、②従業員より個別に天引き同意書を徴収すること、2点となります。
従業員からの天引き同意書については、次の書式をご参照ください。
なお、天引きについては理論上口頭でも足りるはずですが、いざ紛争となった場合、口頭での合意はほぼ認められないというのが実情です。したがって、天引きする場合、従業員に署名押印させた書面の取り付けが必須であると認識するべきです。
【参考書式】
相殺申入書
株式会社●● 御中
この度、私は、貴社の業務遂行中に不適切な業務遂行を行った結果、貴社に●円の損害を与えてしまいました。
この点、お詫び申し上げると共に以後この様な事がないよう細心の注意を払うことを誓約します。
また、貴社と協議の結果、私は損害金の一部である金●円を賠償することを確認します。そして、具体的な支払方法として、●年●月から●年●月までに支給される賃金より毎月●円を対当額にて相殺することを申し入れますので、よろしくご処理下さい。
年 月 日
住所
氏名 ㊞
【ポイント4~退職に伴う一括支払い処理】
従業員の問題行動により多額の損害を会社に与えた場合、1ヶ月分の賃金から天引きするだけでは不足するという場合があります。この場合、一定期間の間、毎月の賃金より一定額を天引きして支払っていくことが多いのですが、問題となるのは当該従業員が完済前に退職する場合です。
仮に分割弁済による支払いという取扱いを行っていた場合、「上記1.【ポイント3】」と同じ問題、すなわち残額一括返済が可能な内容(期限の利益喪失)となっているのかが重要な関心事となります。なぜなら、往々にして、退職した従業員は会社との関係性が切れた以上、支払ってこないことが多いからです。
したがって、賢い法務戦略としては、上記相殺申入書の最後に次のような一文を追加し、退職が期限の利益喪失事由に該当することを明記することが考えられます。
「なお、事由の如何を問わず私と貴社との労働契約が終了した場合、私は当該終了日の翌日までに、金●円より既払い分を控除した残額について一括にてお支払いします。」
【ポイント5~従業員から書面を徴収する場合】
従業員より何らかのお金を支払ってもらう場合、従業員より支払いを約束する旨記載した書面を書いてもらうことが多くなるのですが、この書面の取り付け方法についても注意するべき事項があります。
というのも、近時の裁判例の傾向として、従業員にとって不利益な内容を記載している書面について、たとえ従業員の署名押印が行われていたとしても、真意に作成したものではない、強要されたものである、勘違い(錯誤)により作成したものである等々の理由で、書面の効力を認めないとするものが増加しているからです。
したがって、賢い法務戦略としては
- 従業員と面談し、その場で書面を渡した上で、記載内容をゆっくり読み上げる
- 書面を渡した際、従業員に対して疑問点がないか、不明点がないか問い質し、質問があれば回答する
- いったん書面を持ち帰ってもらい、時間をかけてじっくり内容を確認するよう促す
- 2~3日後、再度従業員と面談し、疑問点がないか、不明点がないか問い質し、質問があれば回答する
- 従業員より異議なしの意思表明をもらってから、署名押印してもらう
- (※従業員と面談する際は録音等で交渉経過を記録する)
といった念には念を入れた対策を講じることが肝要となります。
<2022年5月執筆>
※上記記載事項は弁護士湯原伸一の個人的見解をまとめたものです。今後の社会事情の変動や裁判所の判断などにより適宜見解を変更する場合がありますのでご注意下さい。
弁護士 湯原伸一 |